安部若菜さんに推薦したい経済学の本: SDG8「働きがいも経済成長も」を考える

 

はじめに

 大学で経済学を学んだ48Gのメンバーには、仲俣汐里さん*1武藤十夢さんなどがいます。そして、NMB48チームMに所属する安部若菜さんも、大学で経済学を専攻しているとのことです。

 

経済学を勉強しています。じつをいうと、経営者になりたいんです。飲食店を絶対やりたくて、とくにケーキ屋さんですね。世間のニーズに合わせた事業計画を立てられたらなと思っています。

smart-flash.jp

 

経済学はあくまで「社会をモデル化し、その動態に説明を与える」社会科学の一つであり、ジョーン・ロビンソンの言葉を借りれば「地図」を描くようなものです。したがって、経営のしかた(つまり「個別的な主体がどのように振る舞うのが望ましいか」)までを教えてくれるかは、なんともいえないところだなあ...という気がしています。しかし経済学を学ぶひとりとしては、同じものに関心をもって勉強しているアイドルがいるというのは嬉しく、非常に親近感がわくところです。

 

さて、このコロナ禍にもかかわらず躍進のとまらないNMB48は、先日放送された「CDTV」に出演した際、SDGs (Sustainable Development Goals)のロゴがプリントされたTシャツを着用してパフォーマンスを披露しました。NMB48の経済担当(?)である安部若菜さんのTシャツには、8番目の目標「働きがいも経済成長も」が書かれていました。

 

 

「働きがいも経済成長も」は "decent work and economic growth" の邦訳です。この "decent work" という言葉は、1999年の第87回ILO(国際労働機関)総会に提出されたファン・ソマビア事務局長の報告において、初めて用いられたものだそうです。

 

「ディーセント・ワークとは、権利が保障され、十分な収入を生み出し、適切な社会的保護が与えられる生産的な仕事を意味します。それはまた、全ての人が収入を得るのに十分な仕事があることです。」

www.ilo.org

 

それでは、「働きがい」と「経済成長」(経済活動の規模が拡大すること)のあいだには、どのような関係があるのでしょうか。本稿では、経済学が二者にどのような説明を与えるのかについて、かんたんに整理してみたいと思います。

 

 

経済学は「働きがい」と「経済成長」をどう説明する?

生産性と成長: 新古典派

生産活動によって生み出された付加価値は、生産要素である労働と資本に分配されます。労働への分配は賃金、資本への分配は利潤(利子)です。労働分配率とは、付加価値のうち賃金の割合のことです。 

 

経済学の主流である新古典派の理論ではふつう、限界生産力説がとられます。これは、企業が利潤最大化を目的に行動する結果、限界生産性、すなわち生産関数(生産要素の投入量と生産量の関係を表す式)を各生産要素で1階微分したものと実質賃金や実質利子率が等しくなるというものです。つまり「企業は生産要素を限界的に1単位追加することによる収入と費用が等しくなるような水準で生産を行う」と仮定するのです。また、供給された生産要素が完全に利用され、失業や遊休資源が存在しないことも仮定されます。このような仮定のもとでは、所得分配は主に生産関数のパラメータによって決定されます。

  

それでは、経済成長はどのように説明されるでしょうか。最も単純な新古典派の成長モデルは、学部のマクロの教科書にもだいたい載っているSolowモデル*2です。Solowモデルでは、「貯蓄はすべて自動的に投資に用いられる」というセーの法則が仮定されています。そして、技術進歩率と人口成長率が長期的な経済成長率を決定します。

 

このように、新古典派のモデルでは、経済成長と所得分配のあいだに因果関係はありません。さらに、それらの決定要因は主に供給側に求められるのです。

 

ここで、SDGsのターゲット8.2を確認してみましょう。

 

商品やサービスの価値をより高める産業や、労働集約型の産業を中心に、多様化、技術の向上、イノベーションを通じて、経済の生産性をあげる。

www.unicef.or.jp

 

この背景にあると考えられるのは、「経済成長のために、技術進歩・イノベーションを通した生産性向上が必要である」という考え方です。これを裏返すと、「生産性の伸び悩みが成長鈍化の原因である」という説になります。このような主張は、前述した新古典派の理論によって説明が与えられ、1980年代以降には市場の効率化・生産性向上・イノベーションの誘発を目指した「自由化」「民営化」が先進国の政策トレンドになっていきました。

 

日本では、Hayashi & Prescott (2002)が日本の「失われた10年」の原因をTFP全要素生産性)の停滞に求める仮説を提示し*3、以後「経済の停滞を打破するには規制緩和によって競争を促し、企業の新陳代謝を活性化させることが必要だ」という主張が盛んになされました*4。これが、小泉政権以後の日本でほとんど一貫して継続されている「構造改革」路線の強化につながっていったといわれています。 

 

しかし、先述のようなサプライサイド政策が、停滞に対して有効な処方箋とはならず、格差を拡大させる要因となったことについて、すでに多方面から指摘がなされています。実際この30年間で、先進国と途上国の両方において労働分配率が低下していることが報告されています*5。たとえば、経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは新著で次のように述べています*6

 

サプライサイド経済学は、規制緩和による自由化、および減税による活性化により経済は成長するという前提に基づいている。だが実際には、レーガン政権の改革後、成長は鈍化した。金融市場を中心とする規制緩和により、1991年と2001年に不況が発生し、2008年の金融危機に至った。減税も、サプライサイド経済学支持者が主張するほどの経済活性効果をもたらさなかった。<中略>レーガン政権による富裕層の減税でも、その後のジョージ・W・ブッシュ政権による減税でも、減税を批判していた人たちの予想どおり、労働力の供給や労働者の貯蓄が増えることはなかった。「サプライサイド」経済学や、市場を自由化すれば成長するという信念が、見掛け倒しであることはもはや明らかだ。減税や規制緩和よりも経済成長を促進する手段はたくさんある。(Stiglitz 2019, 山田美明 訳, pp.63-64.)

 

このように「経済成長」のためのサプライサイド政策は、「働きがい」と「経済成長」の両方に対して望ましい効果をもたらさなかった、との批判を受けています*7。こうした政策を理論的に裏付けてきた新古典派経済学に対して、経済の主な決定要因を主に需要側に求める経済理論があります。その一つが、ポスト・ケインズ派経済学です。

 

 

分配と成長: ポスト・ケインズ派 

1930年代に「有効需要の原理」を提示し、需要側からの決定メカニズムを重視した理論を構築したジョン・メイナード・ケインズは、その後の経済学に多くの影響を与えました。なかでもケインズの直弟子であった「ケインズ・サーカス」と呼ばれる経済学者たちは、ケインズの理論を忠実に継承・発展しようと試みました。ポスト・ケインズ派は、このケインズ・サーカスに端を発します*8

 

まずポスト・ケインズ派は、限界生産力説を拒否します。かわりに「企業は賃金などを含む費用に一定のマークアップを加えることにより価格を設定している」というマークアップ価格設定を採用します。このマークアップ率は、労働者と雇用主(資本家)の間のコンフリクトなどの制度的・環境的要因に左右されます。たとえば、労使間の交渉において労働者が有利になれば、企業はマークアップ率を下げざるを得なくなり、労働分配率は上昇することになります。

 

また、ポスト・ケインズ派はセー法則を否定し、有効需要が産出量の水準を決定すると仮定します。したがって遊休資源、すなわち失業や不完全稼働が存在することになります。

 

ポスト・ケインズ派の経済成長モデルであるカレツキアン・モデルでは、成長率は資本分配率(または労働分配率)の関数になっています。これは、利潤からの消費と賃金からの消費のあいだに差があるため、分配の変化が消費の水準に影響を与えることが原因です。資本分配率の上昇が成長率に正の影響を与える場合、これを利潤主導型レジームと呼びます。逆に、労働分配率の上昇が成長率に正の影響を与える場合、これを賃金主導型レジームと呼びます。

 

先に述べたように、労働分配率の上昇には、労働者に有利な環境・制度を整備することが有効となります。具体的には、最低賃金制度や労働規制の強化、公的雇用の拡大などが考えられます。したがって、もし賃金主導型の成長レジームに経済がおかれているならば、「働きがい」を追求する労働者保護的政策こそが経済成長を促進することになるのです。

 

このようなモデルを用いてポスト・ケインズ派は、各国の経済がどちらのレジームにあるのかを実証的に分析することに取り組んでいます。そして、レジームを決定する要因に説明を与えようと試みるとともに、「働きがい」と「経済成長」の両方を追求することができる賃金主導型成長の可能性を探求しています。

 

 

文献リスト

以上にみてきたように、「働きがいも経済成長も」を考えるうえで、ポスト・ケインズ派経済学は有効なツールを提供してくれます。しかし残念なことに、経済学部や経済学研究科のカリキュラムにポスト・ケインズ派のコースが開かれていることはあまり多くありません。よって、ほとんど独学のような形で勉強を進める必要があります。そこで、入門に最適と思われる文献を4点挙げてみました。興味をもったトピックやいまひとつ理解できなかった部分に関してリレーのように参考文献を漁っていくと、(私の経験上)相当な勉強になるはずです。したがって、まずは新しめの概説書(ここでは鍋島 (2020); Lavoie (2004))を一読するのをお勧めします。

 

鍋島直樹 (2020) 『現代の政治経済学: マルクスケインズの総合』京都: ナカニシヤ出版.

www.nakanishiya.co.jp

 

経済学史的なアプローチからポスト・ケインズ派経済学を研究している鍋島直樹先生による、学部生向け教科書です。著者は、新古典派経済学(neo-classical economics)に「政治経済学 (political economy)」を対置します。本書では、政治経済学の中心となるマルクス派とケインズおよびポスト・ケインズ派の理論がわかりやすく簡潔にまとめられており、学部のコースワークで扱われる経済学を客観視するための視座を得るうえで非常に有用なテキストになっています。これは今年出版されたテキストなのですが、学部1-2年生くらいで読みたかった...。

 

 

Michael Kalecki (1971) Selected essays on the dynamics of the capitalist economy, 1933-1970, Cambridge: Cambridge University Press. (浅田統一郎・間宮陽介 共訳 (1984)『資本主義経済の動態理論』東京: 日本経済評論社.)

www.nikkeihyo.co.jp

 

ポーランドの経済学者であるミハウ・カレツキの死後にまとめられた論文集です。彼は、主流派経済学の教育を受けなかったにもかかわらず(だからこそ?)、マルクスを独学し、再生産表式から有効需要の原理に到達しました。これは、当時の経済学界で権威的であったケンブリッジ学派で主流派経済学を研究しながら、それを批判して有効需要の原理を唱えたケインズとは対照的です。

 

ポスト・ケインズ派がもつ「分配から成長へ」のヴィジョンは、カレツキを祖とするものです。その理論は、「価格の調整が経済を均衡させる」という一般的な経済学の世界観の対極にあるといえるでしょう。

 

 

Marc Lavoie (2004) L'économie postkeynésienne, Paris: La Découverte. (宇仁宏幸・大野隆 訳 (2008)『ポストケインズ派経済学入門』京都: ナカニシヤ出版. ) 

www.nakanishiya.co.jp

 

ポスト・ケインズ派の理論を体系的にまとめた、学部生向け教科書です。著者のマルク・ラヴォアは、ポスト・ケインズ派の主要な研究者・論客として現在も活躍しています。また、経済学界をこえて近年話題になっている現代貨幣理論(Modern Monetary Theory, MMT)を構成する要素の一つであるストック・フロー一貫型(Stock-Flow Consistent, SFC)アプローチの生みの親の一人でもあり、本書では主に第3章にて言及されています。

 

このテキストの特徴は、新古典派経済学オルタナティヴになりうる理論を提供することが一貫して念頭におかれている点です。異端派は、主流派から「理論が体系化されていない」「数学的なモデルがない」などの批判を受けることが多くあります。ラヴォアは、そのような批判に真っ向から立ち向かおうとしています。学部の必修授業でミクロ経済学を学んだ後に、ぜひ本書の第2章「異端派ミクロ経済学」を読んでいただきたいと思います。もちろん先述したカレツキアン・モデルについても、第5章をまるごと割いて説明がなされています。

 

 

Marc Lavoie & Engelbert Stockhammer (eds.) (2012) Wage-Led Growth: An Equitable Strategy for Economic Recovery, Houndmills, Basingstoke, UK: Palgrave Macmillan.

www.palgrave.com

 

ILO(国際労働機関)のリサーチ・プロジェクトの一環として出版された、論文集というよりは一般向けワーキングペーパー集です。残念ながら邦訳は出ていませんが、内容はそれほど難しくなく読みやすいものになっていると思います。

 

カレツキアン・モデルは、カレツキに着想を得たポスト・ケインズ派(のなかのカレツキ派)が、所得分配と経済成長の関係を分析するために作り出した成長モデルです。Rowthorn (1981)などによって初期のモデルが提示された*9あと、理論研究が重ねられ、Marglin & Bhaduri (1990)によって、賃金主導型成長レジームと利潤主導型成長レジームの両方を描写できる、ベンチマークともいえるモデルが提示されました*10。これをきっかけに、各国の成長レジームが賃金主導型なのか、利潤主導型なのかを調べる実証研究がポスト・ケインズ派のあいだで盛んに行われるようになりました。この本は、その成果をまとめてかんたんに紹介するといった内容になっています。

 

The main objective of the present chapter is to provide an accessible introduction to the topic of a wage-led growth strategy for policy makers. Another important objective is to present the overarching framework underlying the efforts of the authors of the other papers of the project, thus also providing an introduction to the notions of wage-led and profit-led economic regimes, in the hope that other researchers will adopt these distinctions and embark on the kind of empirical research required to assess whether various other individual countries or regions are in a wage-led or a profit-led regime. (Lavoie & Stockhammer 2013, pp.14-15.)

 

ここにも書かれているように、この本の対象は"policy makers"(政策立案者)であり、アカデミックな世界の人ではありません。単純なカレツキアン・モデルの説明もあるので、目を通してみることをおすすめします。(ちなみに、第1章にあたるペーパーはILOのHPで公開されています)

www.ilo.org

 

 

おわりに

ケインズ・サーカスの一員であったロビンソンの次の言葉は、あまりにも有名です。

 

経済学を学ぶ目的は、経済問題について一連のでき合いの答えを得るためではなく、いかに経済学者にだまされないようにするかを習得するためである。(Robinson 1955, 都留重人訳, p.38)*11

 

これは、ロビンソンがインドのデリー大学で講演を行ったときの発言です。その講演の中で、彼女は「経済学とはプロパガンダだ」と言い放ちます。

 

経済学説というものは、常にプロパガンダとして提示される。このことは、とりあげる主題の性格そのものからいって避けられないのであって、「純粋科学」の名において事実がそうでないかの如くよそおうのは、現実をまともに見ようとしない非科学的態度と言わなければならぬ。(Robinson 1955, 都留重人 訳, p.6)

 

ロビンソンは、「分析から規範的要素を排除することができる」という一見すると科学的であるような態度こそ、非科学的であると指摘しています。「意識」こそが「存在」の発見を可能にしている以上、たとえばモデルを構築するうえでのさまざまな仮定や変数の選択などにおいて、ある種のイデオロギー的なものを完全に切り離すことは不可能なのです。

 

したがってロビンソンの言うように、「純粋科学」を装って何らかの学説を主張し、特定の個人・集団を不当に叩いたり利益を誘導したりしようとする経済学者に「だまされないようにする」ことはもちろん、問題意識にあわせて柔軟に分析ツールを選び取ったり構築したりすることができるようになるためには、主流・異端にかかわらずできるだけ多種多様な理論を学んでおくことが重要なのではないかと思います。

 

結びになりますが、安部若菜さんの大学での学びが、実り多いものになることを願ってやみません。かくいう私も、学生の分際で偉そうに文章を書いてしまいましたが、今後も勉強に励むつもりです。がんばります。

 

 

*1:余談ですが、私が学部時代にとっていたゲーム理論の講義で、教授が「説明のためにAKBの総選挙を例に出したら、AKBのメンバーが受講していることがあとでわかって気まずかった」というエピソードを紹介してくれれて、一人でめちゃくちゃウケました。

*2:Solow, R. M. (1956) "A Contribution to the Theory of Economic Growth", The Quarterly Journal of Economics, Oxford University Press, vol. 70(1), pp.65-94, https://doi.org/10.2307/1884513.

*3:Hayashi, F & Prescott, E (2002) "The 1990s in Japan: A Lost Decade", Review of Economic Dynamics, vol. 5, issue 1, pp.206-235, https://doi.org/10.1006/redy.2001.0149.

*4:ただし、林文夫 編 (2007)『経済停滞の原因と制度』によって、供給側の構造問題を日本の長期停滞の主因とする仮説は実証的に否定されています。

*5:OECD & ILO (2015) "The labour share in G20 economies." G20 Employment Working Group Report. (https://www.oecd.org/g20/topics/employment-and-social-policy/The-Labour-Share-in-G20-Economies.pdf)

*6:Stiglitz, J. E. (2019) People, Power, and Profits: Progressive Capitalism for an Age of Discontent, New York: W. W. Norton & Company. (山田美明 訳『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM (プログレッシブ キャピタリズム)』東京: 東洋経済新報社.)

*7:にもかかわらず、わが国の某機関はいまでもサプライサイド政策を推進していますし、インターンや説明会などにいくと必ずと言って良いほど「企業の新陳代謝」「イノベーション促進」「規制改革」「株主との対話」みたいな話を永遠にされます。グループディスカッションなどで、非経済学徒の就活生たちがこういう言葉を連呼しているのを聞くたびに、レッセ・フェールがいかに一般的に浸透しているかを思い知らされます(以上、就活生の愚痴)

*8:彼らは自分たちこそがケインズの正当な継承者であるとして、新古典派との折衷を試みるアメリカの主流派ケインジアンたちを「バスタード・ケインジアン」と厳しく批判しました。現在もポスト・ケインズ派は、主流派のニュー・ケインジアンたちを批判しています。

*9:Rowthorn, R. E. (1981) “Demand, Real Wages and Economic Growth”, Thames Papers in Political Economy, Autumn, pp.1-39. (「需要,実質賃金,経済成長」横川信治・野口真・植村博恭 訳 (1994)『構造変化と資本主義経済の調整』東京: 学文社 所収)

*10:Marglin, S. & Bhaduri, A. (1990) “Profit Squeeze and Keynesian Theory”, in: S. Marglin & J. Schor (eds.), The Golden Age of Capitalism: Reinterpreting the Postwar Experience, Oxford: Clarendon Press.

*11:Robinson, J. (1955) “Marx, Marshall, and Keynes”, Delhi School of Economics Occasional papers, No. 9. (「マルクス・マーシャル・ケインズ都留重人伊藤光晴 訳 (1956) 『マルクス主義経済学の検討』東京: 紀伊国屋書店, 1956年.)