2020年の記録

(オンライン握手会などは含めていません) 

 

1/13「2020年AKB48グループ成人式」@神田明神

1/17「=LOVE 春の全国ツアー『866』」@Zepp Tokyo

1/18「NGT48選抜メンバーコンサート〜TDC選抜、合宿にて決定。初めての経験〜」@TOKYO DOME CITY HALL

1/25「本間日陽ソロコンサート〜来いっしゃ!ひなたまつり〜」@TOKYO DOME CITY HALL

3/22「第2回 せいかつのいのり」(奥名懋一としゃるるろわ)@下北沢ERA

10/24「NMB48 次世代コンサート〜難波しか勝たん!〜」「NMB48 吉田朱里卒業コンサート〜さよならピンクさよならアイドル〜」@大阪城ホール

10/30「『告白の空砲』公演」@NMB48劇場

11/7「nebula」(CH.0, Ramza, etc...)@京都メトロ

11/14「『本間日陽ソロ』公演 & 『七つの海越え島越えいいゆめにおじゃましも!』公演」@NGT48劇場

11/29「吉田朱里プロデュース『Will be idol』公演」@NMB48劇場

12/14「NMB48 村瀬紗英卒業コンサート 〜Happy Saepy Ending〜」@オリックス劇場

12/28「村瀬紗英 ファースト写真集『Sがいい』発売記念イベント」@HMV & BOOKS SHINSAIBASHI

 


 

移住やコロナなどいろいろな変化はありましたが、なんだかんだで今年も楽しくオタクをさせていただきました。ただ、コロナ禍での貴重な大箱ライブだった吉田朱里村瀬紗英両氏の卒コンの記憶がないことは本当に反省しています。一生酒飲まん。

 

アイドルの偉さに心を打たれた時、元気をもらうというよりもむしろ「一方、私は...」と激しい自己嫌悪に陥ってしまうことが近頃多くなってしまっています。オタクがアイドルと自分を比べるなという話ではあるのですが...。りっぱな大人になりたい。

 

何はともあれ、敬愛するオタクの皆さん、今年もたくさんお世話になりました。来年もよろしくお願いいたします。

安部若菜さんに推薦したい経済学の本: SDG8「働きがいも経済成長も」を考える

 

はじめに

 大学で経済学を学んだ48Gのメンバーには、仲俣汐里さん*1武藤十夢さんなどがいます。そして、NMB48チームMに所属する安部若菜さんも、大学で経済学を専攻しているとのことです。

 

経済学を勉強しています。じつをいうと、経営者になりたいんです。飲食店を絶対やりたくて、とくにケーキ屋さんですね。世間のニーズに合わせた事業計画を立てられたらなと思っています。

smart-flash.jp

 

経済学はあくまで「社会をモデル化し、その動態に説明を与える」社会科学の一つであり、ジョーン・ロビンソンの言葉を借りれば「地図」を描くようなものです。したがって、経営のしかた(つまり「個別的な主体がどのように振る舞うのが望ましいか」)までを教えてくれるかは、なんともいえないところだなあ...という気がしています。しかし経済学を学ぶひとりとしては、同じものに関心をもって勉強しているアイドルがいるというのは嬉しく、非常に親近感がわくところです。

 

さて、このコロナ禍にもかかわらず躍進のとまらないNMB48は、先日放送された「CDTV」に出演した際、SDGs (Sustainable Development Goals)のロゴがプリントされたTシャツを着用してパフォーマンスを披露しました。NMB48の経済担当(?)である安部若菜さんのTシャツには、8番目の目標「働きがいも経済成長も」が書かれていました。

 

 

「働きがいも経済成長も」は "decent work and economic growth" の邦訳です。この "decent work" という言葉は、1999年の第87回ILO(国際労働機関)総会に提出されたファン・ソマビア事務局長の報告において、初めて用いられたものだそうです。

 

「ディーセント・ワークとは、権利が保障され、十分な収入を生み出し、適切な社会的保護が与えられる生産的な仕事を意味します。それはまた、全ての人が収入を得るのに十分な仕事があることです。」

www.ilo.org

 

それでは、「働きがい」と「経済成長」(経済活動の規模が拡大すること)のあいだには、どのような関係があるのでしょうか。本稿では、経済学が二者にどのような説明を与えるのかについて、かんたんに整理してみたいと思います。

 

 

経済学は「働きがい」と「経済成長」をどう説明する?

生産性と成長: 新古典派

生産活動によって生み出された付加価値は、生産要素である労働と資本に分配されます。労働への分配は賃金、資本への分配は利潤(利子)です。労働分配率とは、付加価値のうち賃金の割合のことです。 

 

経済学の主流である新古典派の理論ではふつう、限界生産力説がとられます。これは、企業が利潤最大化を目的に行動する結果、限界生産性、すなわち生産関数(生産要素の投入量と生産量の関係を表す式)を各生産要素で1階微分したものと実質賃金や実質利子率が等しくなるというものです。つまり「企業は生産要素を限界的に1単位追加することによる収入と費用が等しくなるような水準で生産を行う」と仮定するのです。また、供給された生産要素が完全に利用され、失業や遊休資源が存在しないことも仮定されます。このような仮定のもとでは、所得分配は主に生産関数のパラメータによって決定されます。

  

それでは、経済成長はどのように説明されるでしょうか。最も単純な新古典派の成長モデルは、学部のマクロの教科書にもだいたい載っているSolowモデル*2です。Solowモデルでは、「貯蓄はすべて自動的に投資に用いられる」というセーの法則が仮定されています。そして、技術進歩率と人口成長率が長期的な経済成長率を決定します。

 

このように、新古典派のモデルでは、経済成長と所得分配のあいだに因果関係はありません。さらに、それらの決定要因は主に供給側に求められるのです。

 

ここで、SDGsのターゲット8.2を確認してみましょう。

 

商品やサービスの価値をより高める産業や、労働集約型の産業を中心に、多様化、技術の向上、イノベーションを通じて、経済の生産性をあげる。

www.unicef.or.jp

 

この背景にあると考えられるのは、「経済成長のために、技術進歩・イノベーションを通した生産性向上が必要である」という考え方です。これを裏返すと、「生産性の伸び悩みが成長鈍化の原因である」という説になります。このような主張は、前述した新古典派の理論によって説明が与えられ、1980年代以降には市場の効率化・生産性向上・イノベーションの誘発を目指した「自由化」「民営化」が先進国の政策トレンドになっていきました。

 

日本では、Hayashi & Prescott (2002)が日本の「失われた10年」の原因をTFP全要素生産性)の停滞に求める仮説を提示し*3、以後「経済の停滞を打破するには規制緩和によって競争を促し、企業の新陳代謝を活性化させることが必要だ」という主張が盛んになされました*4。これが、小泉政権以後の日本でほとんど一貫して継続されている「構造改革」路線の強化につながっていったといわれています。 

 

しかし、先述のようなサプライサイド政策が、停滞に対して有効な処方箋とはならず、格差を拡大させる要因となったことについて、すでに多方面から指摘がなされています。実際この30年間で、先進国と途上国の両方において労働分配率が低下していることが報告されています*5。たとえば、経済学者のジョセフ・E・スティグリッツは新著で次のように述べています*6

 

サプライサイド経済学は、規制緩和による自由化、および減税による活性化により経済は成長するという前提に基づいている。だが実際には、レーガン政権の改革後、成長は鈍化した。金融市場を中心とする規制緩和により、1991年と2001年に不況が発生し、2008年の金融危機に至った。減税も、サプライサイド経済学支持者が主張するほどの経済活性効果をもたらさなかった。<中略>レーガン政権による富裕層の減税でも、その後のジョージ・W・ブッシュ政権による減税でも、減税を批判していた人たちの予想どおり、労働力の供給や労働者の貯蓄が増えることはなかった。「サプライサイド」経済学や、市場を自由化すれば成長するという信念が、見掛け倒しであることはもはや明らかだ。減税や規制緩和よりも経済成長を促進する手段はたくさんある。(Stiglitz 2019, 山田美明 訳, pp.63-64.)

 

このように「経済成長」のためのサプライサイド政策は、「働きがい」と「経済成長」の両方に対して望ましい効果をもたらさなかった、との批判を受けています*7。こうした政策を理論的に裏付けてきた新古典派経済学に対して、経済の主な決定要因を主に需要側に求める経済理論があります。その一つが、ポスト・ケインズ派経済学です。

 

 

分配と成長: ポスト・ケインズ派 

1930年代に「有効需要の原理」を提示し、需要側からの決定メカニズムを重視した理論を構築したジョン・メイナード・ケインズは、その後の経済学に多くの影響を与えました。なかでもケインズの直弟子であった「ケインズ・サーカス」と呼ばれる経済学者たちは、ケインズの理論を忠実に継承・発展しようと試みました。ポスト・ケインズ派は、このケインズ・サーカスに端を発します*8

 

まずポスト・ケインズ派は、限界生産力説を拒否します。かわりに「企業は賃金などを含む費用に一定のマークアップを加えることにより価格を設定している」というマークアップ価格設定を採用します。このマークアップ率は、労働者と雇用主(資本家)の間のコンフリクトなどの制度的・環境的要因に左右されます。たとえば、労使間の交渉において労働者が有利になれば、企業はマークアップ率を下げざるを得なくなり、労働分配率は上昇することになります。

 

また、ポスト・ケインズ派はセー法則を否定し、有効需要が産出量の水準を決定すると仮定します。したがって遊休資源、すなわち失業や不完全稼働が存在することになります。

 

ポスト・ケインズ派の経済成長モデルであるカレツキアン・モデルでは、成長率は資本分配率(または労働分配率)の関数になっています。これは、利潤からの消費と賃金からの消費のあいだに差があるため、分配の変化が消費の水準に影響を与えることが原因です。資本分配率の上昇が成長率に正の影響を与える場合、これを利潤主導型レジームと呼びます。逆に、労働分配率の上昇が成長率に正の影響を与える場合、これを賃金主導型レジームと呼びます。

 

先に述べたように、労働分配率の上昇には、労働者に有利な環境・制度を整備することが有効となります。具体的には、最低賃金制度や労働規制の強化、公的雇用の拡大などが考えられます。したがって、もし賃金主導型の成長レジームに経済がおかれているならば、「働きがい」を追求する労働者保護的政策こそが経済成長を促進することになるのです。

 

このようなモデルを用いてポスト・ケインズ派は、各国の経済がどちらのレジームにあるのかを実証的に分析することに取り組んでいます。そして、レジームを決定する要因に説明を与えようと試みるとともに、「働きがい」と「経済成長」の両方を追求することができる賃金主導型成長の可能性を探求しています。

 

 

文献リスト

以上にみてきたように、「働きがいも経済成長も」を考えるうえで、ポスト・ケインズ派経済学は有効なツールを提供してくれます。しかし残念なことに、経済学部や経済学研究科のカリキュラムにポスト・ケインズ派のコースが開かれていることはあまり多くありません。よって、ほとんど独学のような形で勉強を進める必要があります。そこで、入門に最適と思われる文献を4点挙げてみました。興味をもったトピックやいまひとつ理解できなかった部分に関してリレーのように参考文献を漁っていくと、(私の経験上)相当な勉強になるはずです。したがって、まずは新しめの概説書(ここでは鍋島 (2020); Lavoie (2004))を一読するのをお勧めします。

 

鍋島直樹 (2020) 『現代の政治経済学: マルクスケインズの総合』京都: ナカニシヤ出版.

www.nakanishiya.co.jp

 

経済学史的なアプローチからポスト・ケインズ派経済学を研究している鍋島直樹先生による、学部生向け教科書です。著者は、新古典派経済学(neo-classical economics)に「政治経済学 (political economy)」を対置します。本書では、政治経済学の中心となるマルクス派とケインズおよびポスト・ケインズ派の理論がわかりやすく簡潔にまとめられており、学部のコースワークで扱われる経済学を客観視するための視座を得るうえで非常に有用なテキストになっています。これは今年出版されたテキストなのですが、学部1-2年生くらいで読みたかった...。

 

 

Michael Kalecki (1971) Selected essays on the dynamics of the capitalist economy, 1933-1970, Cambridge: Cambridge University Press. (浅田統一郎・間宮陽介 共訳 (1984)『資本主義経済の動態理論』東京: 日本経済評論社.)

www.nikkeihyo.co.jp

 

ポーランドの経済学者であるミハウ・カレツキの死後にまとめられた論文集です。彼は、主流派経済学の教育を受けなかったにもかかわらず(だからこそ?)、マルクスを独学し、再生産表式から有効需要の原理に到達しました。これは、当時の経済学界で権威的であったケンブリッジ学派で主流派経済学を研究しながら、それを批判して有効需要の原理を唱えたケインズとは対照的です。

 

ポスト・ケインズ派がもつ「分配から成長へ」のヴィジョンは、カレツキを祖とするものです。その理論は、「価格の調整が経済を均衡させる」という一般的な経済学の世界観の対極にあるといえるでしょう。

 

 

Marc Lavoie (2004) L'économie postkeynésienne, Paris: La Découverte. (宇仁宏幸・大野隆 訳 (2008)『ポストケインズ派経済学入門』京都: ナカニシヤ出版. ) 

www.nakanishiya.co.jp

 

ポスト・ケインズ派の理論を体系的にまとめた、学部生向け教科書です。著者のマルク・ラヴォアは、ポスト・ケインズ派の主要な研究者・論客として現在も活躍しています。また、経済学界をこえて近年話題になっている現代貨幣理論(Modern Monetary Theory, MMT)を構成する要素の一つであるストック・フロー一貫型(Stock-Flow Consistent, SFC)アプローチの生みの親の一人でもあり、本書では主に第3章にて言及されています。

 

このテキストの特徴は、新古典派経済学オルタナティヴになりうる理論を提供することが一貫して念頭におかれている点です。異端派は、主流派から「理論が体系化されていない」「数学的なモデルがない」などの批判を受けることが多くあります。ラヴォアは、そのような批判に真っ向から立ち向かおうとしています。学部の必修授業でミクロ経済学を学んだ後に、ぜひ本書の第2章「異端派ミクロ経済学」を読んでいただきたいと思います。もちろん先述したカレツキアン・モデルについても、第5章をまるごと割いて説明がなされています。

 

 

Marc Lavoie & Engelbert Stockhammer (eds.) (2012) Wage-Led Growth: An Equitable Strategy for Economic Recovery, Houndmills, Basingstoke, UK: Palgrave Macmillan.

www.palgrave.com

 

ILO(国際労働機関)のリサーチ・プロジェクトの一環として出版された、論文集というよりは一般向けワーキングペーパー集です。残念ながら邦訳は出ていませんが、内容はそれほど難しくなく読みやすいものになっていると思います。

 

カレツキアン・モデルは、カレツキに着想を得たポスト・ケインズ派(のなかのカレツキ派)が、所得分配と経済成長の関係を分析するために作り出した成長モデルです。Rowthorn (1981)などによって初期のモデルが提示された*9あと、理論研究が重ねられ、Marglin & Bhaduri (1990)によって、賃金主導型成長レジームと利潤主導型成長レジームの両方を描写できる、ベンチマークともいえるモデルが提示されました*10。これをきっかけに、各国の成長レジームが賃金主導型なのか、利潤主導型なのかを調べる実証研究がポスト・ケインズ派のあいだで盛んに行われるようになりました。この本は、その成果をまとめてかんたんに紹介するといった内容になっています。

 

The main objective of the present chapter is to provide an accessible introduction to the topic of a wage-led growth strategy for policy makers. Another important objective is to present the overarching framework underlying the efforts of the authors of the other papers of the project, thus also providing an introduction to the notions of wage-led and profit-led economic regimes, in the hope that other researchers will adopt these distinctions and embark on the kind of empirical research required to assess whether various other individual countries or regions are in a wage-led or a profit-led regime. (Lavoie & Stockhammer 2013, pp.14-15.)

 

ここにも書かれているように、この本の対象は"policy makers"(政策立案者)であり、アカデミックな世界の人ではありません。単純なカレツキアン・モデルの説明もあるので、目を通してみることをおすすめします。(ちなみに、第1章にあたるペーパーはILOのHPで公開されています)

www.ilo.org

 

 

おわりに

ケインズ・サーカスの一員であったロビンソンの次の言葉は、あまりにも有名です。

 

経済学を学ぶ目的は、経済問題について一連のでき合いの答えを得るためではなく、いかに経済学者にだまされないようにするかを習得するためである。(Robinson 1955, 都留重人訳, p.38)*11

 

これは、ロビンソンがインドのデリー大学で講演を行ったときの発言です。その講演の中で、彼女は「経済学とはプロパガンダだ」と言い放ちます。

 

経済学説というものは、常にプロパガンダとして提示される。このことは、とりあげる主題の性格そのものからいって避けられないのであって、「純粋科学」の名において事実がそうでないかの如くよそおうのは、現実をまともに見ようとしない非科学的態度と言わなければならぬ。(Robinson 1955, 都留重人 訳, p.6)

 

ロビンソンは、「分析から規範的要素を排除することができる」という一見すると科学的であるような態度こそ、非科学的であると指摘しています。「意識」こそが「存在」の発見を可能にしている以上、たとえばモデルを構築するうえでのさまざまな仮定や変数の選択などにおいて、ある種のイデオロギー的なものを完全に切り離すことは不可能なのです。

 

したがってロビンソンの言うように、「純粋科学」を装って何らかの学説を主張し、特定の個人・集団を不当に叩いたり利益を誘導したりしようとする経済学者に「だまされないようにする」ことはもちろん、問題意識にあわせて柔軟に分析ツールを選び取ったり構築したりすることができるようになるためには、主流・異端にかかわらずできるだけ多種多様な理論を学んでおくことが重要なのではないかと思います。

 

結びになりますが、安部若菜さんの大学での学びが、実り多いものになることを願ってやみません。かくいう私も、学生の分際で偉そうに文章を書いてしまいましたが、今後も勉強に励むつもりです。がんばります。

 

 

*1:余談ですが、私が学部時代にとっていたゲーム理論の講義で、教授が「説明のためにAKBの総選挙を例に出したら、AKBのメンバーが受講していることがあとでわかって気まずかった」というエピソードを紹介してくれれて、一人でめちゃくちゃウケました。

*2:Solow, R. M. (1956) "A Contribution to the Theory of Economic Growth", The Quarterly Journal of Economics, Oxford University Press, vol. 70(1), pp.65-94, https://doi.org/10.2307/1884513.

*3:Hayashi, F & Prescott, E (2002) "The 1990s in Japan: A Lost Decade", Review of Economic Dynamics, vol. 5, issue 1, pp.206-235, https://doi.org/10.1006/redy.2001.0149.

*4:ただし、林文夫 編 (2007)『経済停滞の原因と制度』によって、供給側の構造問題を日本の長期停滞の主因とする仮説は実証的に否定されています。

*5:OECD & ILO (2015) "The labour share in G20 economies." G20 Employment Working Group Report. (https://www.oecd.org/g20/topics/employment-and-social-policy/The-Labour-Share-in-G20-Economies.pdf)

*6:Stiglitz, J. E. (2019) People, Power, and Profits: Progressive Capitalism for an Age of Discontent, New York: W. W. Norton & Company. (山田美明 訳『スティグリッツ PROGRESSIVE CAPITALISM (プログレッシブ キャピタリズム)』東京: 東洋経済新報社.)

*7:にもかかわらず、わが国の某機関はいまでもサプライサイド政策を推進していますし、インターンや説明会などにいくと必ずと言って良いほど「企業の新陳代謝」「イノベーション促進」「規制改革」「株主との対話」みたいな話を永遠にされます。グループディスカッションなどで、非経済学徒の就活生たちがこういう言葉を連呼しているのを聞くたびに、レッセ・フェールがいかに一般的に浸透しているかを思い知らされます(以上、就活生の愚痴)

*8:彼らは自分たちこそがケインズの正当な継承者であるとして、新古典派との折衷を試みるアメリカの主流派ケインジアンたちを「バスタード・ケインジアン」と厳しく批判しました。現在もポスト・ケインズ派は、主流派のニュー・ケインジアンたちを批判しています。

*9:Rowthorn, R. E. (1981) “Demand, Real Wages and Economic Growth”, Thames Papers in Political Economy, Autumn, pp.1-39. (「需要,実質賃金,経済成長」横川信治・野口真・植村博恭 訳 (1994)『構造変化と資本主義経済の調整』東京: 学文社 所収)

*10:Marglin, S. & Bhaduri, A. (1990) “Profit Squeeze and Keynesian Theory”, in: S. Marglin & J. Schor (eds.), The Golden Age of Capitalism: Reinterpreting the Postwar Experience, Oxford: Clarendon Press.

*11:Robinson, J. (1955) “Marx, Marshall, and Keynes”, Delhi School of Economics Occasional papers, No. 9. (「マルクス・マーシャル・ケインズ都留重人伊藤光晴 訳 (1956) 『マルクス主義経済学の検討』東京: 紀伊国屋書店, 1956年.)

『シャーベットピンク』発売によせて

コロナで騒いでいるあいだに、あっという間に2020年も残すところあと半分を切ってしまいました。例年のいまごろであれば、TIFのタイテを見ながらスケジュールを練ることで頭がいっぱいで期末試験やレポートどころではない!(逆転)となっているはずなのですが、今年はTIFがない分と言ったら良いのか、オンライン授業に伴う大量のレポートと格闘しながら、夏インターンのESや諸試験を消化している状況です。

 

今週、NGT48の5thシングル『シャーベットピンク』が発売されました。1年9ヶ月ぶりのリリースです。この1年9ヶ月のあいだ、NGT48について、アイドルについて、自分自身のことについて、いろいろ考えることになりました。

 

はじめに: 自分語り

大学というのはほんとうに邪悪な場所です。まず、「生産性」とか「スキル」とかいったものを上げようと必死になっている学生たちがたくさんいます。貨幣単位を意識的にあるいは無意識的に信奉する彼らは、様々なことに対して平気で「無駄だ」とか「役に立たない」とか口にします。彼らは学問にも専門知にも敬意を払わないばかりでなく、能力主義が内面化し、貨幣単位で計測された「能力」なる価値の中立性を信じて疑いません。いわゆる「ドカタ」や「中卒」といった人々に生活の基盤を支えられていることなど、彼らにとっては知ったことではないし、まして田舎の人間など非合理的な「土人」にしか見えていないことでしょう。

 

一方で、そんな学生たちとは無縁に純粋に学問に没頭していると思われる先生方はじめアカデミシャンの皆さんはどうでしょうか。アカデミアという権威を盾に、公務員や農林水産業・土木建設業などの特定業界に対して「既得権益だ!」と攻撃し、行政改革構造改革に加担してきた人たちがいることは否定できないでしょう。またこれは私が専攻している分野に関して特に顕著なのですが、現実が理論通りにならないと「現実のほうが間違っている」みたいなことを言い出す人がしばしば見受けられるのは、学生の身分ながら常々呆れてしまいます。

 

このようなインテリ的傲慢さの腐臭が漂う大学に、わざわざ地元の岩手県を離れて通っていること。そしてゆくゆくは、このような人々と同じような立場で仕事をして生きていくであろうということ。これはほかでもない私自身の選択であるがゆえに、どうしても罪悪感がつきまとってしまいます。

 

とても個人的な話になりますが、一昨年祖父が亡くなりました。いつも陽気でおちゃらけていて笑顔を振りまいているけれど、実はしっかり者で、漬物も庭仕事も大工もなんでも身一つでこなしてしまう祖父は、ずっと私の憧れでした。 そんな祖父は、生まれてから死ぬまでを同じ地域で暮らした人でした。そこに住んでいる人はだいたい顔見知りなので、私が小さい頃祖父と散歩すると、道で会う人一人ひとりにいつも声をかけられて、その度に立ち話になり少し退屈していたことをよく覚えています。

 

法事などの席で、私のことを小さい頃から知っている近所の人や親戚に「将来何になるの?」「こちらには戻ってくるの?」と何度も聞かれました。よりにもよってあんな生き方をした祖父の法事で、「まだ決まっていないけどたぶんそのまま流れで関東あたりで就職すると思います」などという答えしかできないことに、恥ずかしさがこみ上げてきました。

 

私にとっての故郷は、決して誇れるものでも、胸を張って好きといえるものでもありません。今後も衰退していくだけであることは目に見えているし、住んでいて楽しいところだとも到底言い難い。しかし故郷こそ、私という人格を作り上げた環境であり、その空間一つひとつに大事な記憶が詰まっています。言ってしまえば、故郷というのは私の一部なのです。

 

今思い返してみると、そんな私に居場所を与え、わずかに安心させてくれたのが、NGT48だったのではないかと思います。

 

NGT48と私

これはいつも話していることですが、私がNGT48を好きになった複数のきっかけのうちの一つは、「NGT48のにいがったフレンド!」というテレビ番組です。

 

この類の「地域密着」型ご当地番組というのはたいてい、観光スポットやその土地の食べ物、歴史ある街並みなどを紹介したり、「〇〇民のここが変」「〇〇民のここがすごい」みたいなネタをわざとらしく扱ったりといった内容に終始することが多いものです。しかし「がたフレ」には、人のいないシャッター商店街や何も無くだだっ広いだけの田んぼ道、そしてとにかく規模の大きいショッピングモールや全国チェーン店などがたくさん登場します。そんな地方のありふれた風景を舞台に、NGT48のメンバー数名とロッチの二人が繰り広げるしょうもない会話がひたすら映し出されます。

 

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『NGT48のにいがったフレンド!』#113(総集編)より

 

番組の中で定番となっていたのが、ロケの現場からメンバーの家族に電話をかけるというものです。メンバーの地元凱旋回では、電話で撮影現場まで家族を呼びつけたり、小さい頃通っていた習い事の教室や幼稚園を訪問したりすることがあります。また、ロケ中にメンバーが地元の友人・知人に偶然遭遇することもありました。

 

「がたフレ」は、インテリ連中の考える地方創生などというキレイゴトに対して、そんなの知るかと言わんばかりに、衰退した地方の現状と、経済的に有用な資源の乏しさを叩きつけます。観光立国だインバウンドだと躍起になっているここ20年のわが国の方向性の真逆を堂々といくのです。代わりに映し出されるのは、その土地で育ったメンバーやその土地で暮らしを営む人々、彼ら一人ひとりの人生です。それらは一見するとありふれたものなのですが、個別的・具体的な人生の経験は彼らにとってかけがえのないもので、驚くほどキラキラ輝いています。

 

「がたフレ」を見たり、ラジオを聴いたりしているうちに、もっと彼女たちの生身の人生について知りたいと思うようになりました。新潟を訪れるたびに、彼女たちを育んだ、もしくは生きていくことを選んだこの土地のことがどんどん好きになっていきました。同時に、地方都市特有の都市構造や景観に、自分が生まれ育った場所を重ね合わせたりもしました。

 

そうしてオタクさんたちと一緒に、あるいは一人で、NGT48のオタクをするようになりました。新潟で、新潟のお酒を飲みながら、メンバーの人生に想いを馳せるとき、えも言われぬ感慨が押し寄せてくるのでした。

 

 2019年

昨年、NGT48に何があったのかについて改めて説明はしません。

 

NGT48という大好きなアイドルグループが、当該事件を起こしてしまうような集団であったこと、そしてそれに対して適切な対処を行えなかったことに対する失望は、計り知れないものでした。事件のあと、山口真帆さんを含む多くのメンバーがグループを卒業・辞退してしまったことは、対応がいかにいい加減であったかを示すのにあまりにも十分でしょう。むしろ、グループ側が被害者であるかのようなスタンスをとっているとさえ受け取れてしまいます。

 

事件の発覚から数日後、新潟の万代島というところで『新潟開港150周年×NGT48劇場3周年記念イベント』が行われました。メンバーもオタクも、みんな心の中はそれどころではない状況なのに、まるで何もなかったかのようにイベントが進み、会場の外には多くのメディアがカメラをもって待ち構えていたあの異様な雰囲気は、二度と味わいたくないものでした。そしてこの日、東京で開催されていたAKBのチームコンサートで、当時総監督だった横山由依さんが謝罪するという場面があったそうです。新潟では何もなかったかのようにイベントが進んでいるのに、東京ではAKBが謝罪しているという転倒した状況に、呆然としました。

 

2019年のAKBは、「楽しいばかりがAKB」と題した全国ツアーを実施し、その評判は私の聞く限り非常に良いものでした。私も8月に川崎でチームBの公演を見ましたが、「楽しいばかり」というのは本当で、前日に複雑な気持ちで見たNGTの公演とは大違いでした。このツアータイトルは当然、年始からのNGTに関する悲しいニュースの連続を受けたものでしょう。NGTが起こしてしまったことの尻拭いをAKBの各チームに負わせているような気がしてしまい、複雑な気持ちでした。

 

いま述べたNGTの公演というのは、『夢を死なせるわけにいかない』公演初日のことです。事件後中止されていた公演が再開されたのは、8月でした。劇場では、多くの人が「今日は公演再開!めでたい!」と楽しそうで、企画実行委員会的なものも立ち上がっていたようでした。劇場入り口前の通路のところにあったタイアップ企業の広告はすべてなくなっていて、代わりに掲示されていたのは、「私たちはNGT48を応援します」というファンによる企画ポスターでした。 

 

公演の終盤MCで、あるメンバーが「事件から今までずっと、言われもない噂で叩かれ続けて本当に辛くて...」と泣きながら述べていました。インターネットの不特定多数が、特定の個人に容疑をかけ、勝手に白黒をつけ、罵詈雑言を投げつける。そういう光景は、いまだに目に入ってきます。気に入らないものを勝手に裁いて気持ち良くなっている人たちはインターネットに山ほどいます。今回の件に限らず、「やらかした(と思われる)やつは好きに叩いていい、叩かれるべき」という感覚を持っている人(インターネット上の人格)があまりにも可視化されていて、本当に引いてしまいます。

 

しかし、そのような状況を引き起こし、グループを「逆境」に追い込んでしまった原因は、紛れもなくNGT48というグループ自身にあるはずです。にもかかわらず、外向きにまるで被害者であるかのような顔をすることには違和感を禁じ得ませんでした。

 

公演終了後、「NGT最高!」と大きな声で連呼しながら泣いている女性ファンがいました。「NGT48ここに復活!逆境に立ち向かってこれからも頑張ります!」という空気感が、NGTの側からもオタクの側からも醸成されていて、とにかく気持ちの悪い空間でした。その空気感は、いまもダラダラと続いています。

 

『シャーベットピンク』

 7月23日(水)、ついに5thシングル『シャーベットピンク』がリリースされることになりました。当日の夜には、ドキュメンタリー番組がABEMAにて放送されました。

 

abema.tv

 

相変わらず「逆境に立ち向かうNGT」の物語が練り上げられていることに辟易してしまいます。「ご迷惑ご心配をおかけしました」「長いあいだお待たせしました」「支えてくれるみなさんに感謝」といった言葉だけが空滑りしているような感じで、事件のあと何をしていて、何に対して反省し、何を改善しようとしているのかがまったくわからないのです。これまでの雑誌のインタビューなどからわかっているのは、ひたすらメンバー間で「話し合い」が行われたということだけです。結局、事件に関する総括は昨年の「第三者委員会」によるレポートのみでした。事件をきっかけに卒業したメンバーの名前はほとんど禁句のような状態になっていますし、この空白の期間は、今後さらにアンタッチャブルなものになっていくのでしょう。

 

今後もモヤモヤした気持ちを抱えたままNGTを見続けなければならないことが、またここで決定付けられてしまいました。NGT48とどう向き合っていけばいいのか、いまだによくわかりません。NGT48のコンテンツを消費するたびに、「私はこうしてNGT48のオタクをしていて良いのだろうか」という思いが生じてきます。

 

しかしながら、こんな状況にあってもNGT48が好きで、オタクをやめられていないのは、事件以前に(あるいは以後にも)過ごしたNGT48との時間が私にとってかけがえのない人生の一部であり、私を支えているからなのだと思います。朱鷺メッセ単独コンサートで新潟に行ってみんなで日本酒をたくさん飲んだことも、MVのロケ地を一人で回ったことも、サマソニの大阪会場から東京でのNGTのライブを回したことも、推しメンの生誕祭のあとに何の計画もなく推しメンの故郷を訪れたことも、正月からお台場でライブを見てバーミヤンから観覧車を回したことも、ぜんぶが大切な思い出で、それらはNGT48がなかったら有り得なかった出来事です。

 

私にとって好きなアイドル(グループ)というのはもはや他者ではなく、故郷と同じように自分の一部になっているようです。そうである限り、少なくとも精神的にはオタクをやめることができないでしょう。好きなアイドル(グループ)が叩かれているのを見ると、オタクである自分も叩かれているような気持ちになります。楽しいことにお金を払い、楽しくないことにはお金を払わないという、合理的な消費者としての行動をとることができなくなっています。

 

こういう話をしていたら、知り合いのとあるオタクさんに「好きなものを自分と一体化・同化するの、オタクの悪いとこだぞ」と怒られましたが、オタクってみんなそんなものですよね?そう信じたいものですが...。

 

推しメンのこと

本間日陽さんは、instagramのストーリーズに次のような投稿をしていたことがありました。(ストーリーのスクリーンショットを貼るのはあまりにも無粋なので一部引用)

 

最近は地元で過ごしてた学生時代が死ぬほど愛おしく感じます!捨ててきたのに、捨ててきたから、こその、へばりつくみたいに愛おしい執着心のようなもの、、家とかも生家〜って感じになるもん何もないと思ってたけどいっぱい愛おしい瞬間が詰まってて地元すき...ってなる

 

この投稿はわりと最近(2-3ヶ月前?)にされたものですが、自分のいちばん好きなアイドルとこういう感覚を共有できていることに強い安心感を覚えました。というより、もともとこういう感覚を共有できる気がしたから好きになったのだという気がします。こうして推しメンに恐れ多くも自分を重ね合わせてしまうのもある種の「一体化」ですが。

 

学業も優秀で、地元の進学校に通っていた本間日陽さんは、もしアイドルとしての道を選ばなかったとしても、おそらく一度は地元を「捨てる」選択をすることになっていただろうと推測します(オタクの勝手な妄想)。彼女が東京の大学に通う地元の友人の話をしているのを聞くと、アイドルにならなかった彼女の人生というものを勝手に考えてしまいます。

 

周囲から反対されながらも、それを乗り越えて「アイドルとして生きることを決めた」本間日陽さんが、いまでは家族や地域の人に背中を押されながらアイドルとして輝いているという、まさにかけがえのない人生を、間近で感じたいというのが私のオタクモチベーションになっています(こうやって書いてみるとかなり怖い感じがしますが)。

 

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『NGT48のにいがったフレンド!』#59より

 

 

 

本間日陽さんは、昨年4月のチーム体制終了までチームGのキャプテンを務めていました。私は、チームGのことが心の底から大好きでした。『逆上がり』を聴くだけで、チームGの公演に最初に入った初夏の新潟の風景を鮮明に思い出します。昨年4月の千秋楽では、山口真帆さん・長谷川玲奈さん・菅原りこさんの3名が卒業を発表しました。どうしてこうなってしまったのか、とひたすらやるせ無い気持ちになりました。このとき、涙を浮かべながら最後のあいさつをした本間日陽さんを、どう受け止めて良いのかもわかりませんでした。

 

事件の後は、3月から不定期で行っているソロ公演やAKBフェスでのソロステージ、本店選抜など、単独での仕事やグループの看板を背負った仕事を多く任されることになりました。それに伴い、ある意味では矢面に立ち、「まほほんらを見捨ててグループ側についた」という批判を受けることにもなりました。そのような批判は確かに妥当なものであり、そのなかで私はどのようなスタンスで推しメンを好きでいれば良いのかに悩まされています。

 

いま本間日陽さんは、「NGT48を守りたい」と言っています。1年間キャプテンを務めたチームの解体から、ソロ公演・ソロコンサートなどを経て、自分にしか果たせないグループに対する役割を模索しているように見えます。彼女が守ろうとしているものが、去っていってしまったメンバーたちが守りたかったが守りきれなかったものであることを、オタクである私は盲目に信じるしかありません。

 

おわりに: 謝辞とともに

まだまだ話し足りないことは山ほどあります。とにかくこれからも、モヤモヤした気持ちを抱えながらNGT48のオタクとしてやっていくのだろうと思います。このブログを書いたことで、やっとモヤモヤ感と付き合っていく覚悟ができるような気もしています。

 

最後に、NGT48のオタクそして「新潟最強のあゆたむ軍団」軍団長としてオタク活動を共にしてくれたf_ou_miさんに謝意を表したいと思います。事件後だれもがNGTから離れてしまったなか、ともにNGTの現場に足を運びお酒にとことん付き合ってくれたf_ou_miさんは、複雑な想いを共有できる唯一の仲間で、心の支えでした。他にも、多くのオタクさんが話を聞いてくれたことが、私を救ってくれたと思っています。こんな私ですが、今後とも何卒よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

 

2019年活動記録

1/3(木) TOKYO IDOL PROJECT×@JAM ニューイヤープレミアムパーティー2019 @ お台場・青梅周辺エリア

1/12(土) 新潟開港150周年×NGT48劇場3周年記念イベント~いいよ今日は!思いっきり遊んじゃえ祭り~  @ 万代島多目的広場 大かま

 

2/3(日) つりビット 11th CDシングル「プリマステラ」発売記念ミニライブ&シングル予約者対象特典会 @ 池袋マルイ イベントスペース

2/11(月) フィロソフィーのダンスエクセルシオール」発売記念インストアイベント(ミニライブ&特典会) @ タワーレコード新宿店

 

3/2(土) NGT48「本間日陽ソロ公演 〜その先を照らすもの~」 @ NGT48劇場

3/16(土) AKB48 54thシングル「NO WAY MAN」劇場盤 発売記念大握手会 @ パシフィコ横浜

 

4/8(月) 株式会社AKS 企業説明会 @ TFP神田駅前ビジネスセンター

4/13(土) MELLOW MELLOW「Dear My Star」リリース記念イベント ミニライブ・特典会 @ タワーレコード新宿店

4/26(金) ロッチ単独ライブ2019「マハロッチ」 @ 本多劇場

4/27(土) AKB48グループ 春のLIVEフェス in 横浜スタジアム @ 横浜スタジアム

4/28(日) 指原莉乃卒業コンサート~さよなら、指原莉乃~ @ 横浜スタジアム

 

 

8/3(土), 8/4(日) TOKYO IDOL FESTIVAL @ お台場・青海周辺エリア

8/6(火) NMB48 チームN「N Pride」公演 @ NMB48劇場

8/18(日) NGT48 一期生「夢を死なせるわけにいかない」公演 初日 @ NGT48劇場

8/20(火) AKB48全国ツアー2019 ~楽しいばかりがAKB!~ (チームB) @ カルッツかわさき(川崎市スポーツ・文化総合センター)

8/22(木) りんご音楽祭ウォームアップFREEライブ @ 下北沢THREE

8/24(土) @JAM EXPO 2019 @ 横浜アリーナ

 

9/22(日) AKB48 56thシングル「サステナブル」劇場盤 発売記念大握手会  @ パシフィコ横浜

9/23(月) 東京女子流 ライブDVD&Blu-ray東京女子流 CONCERT*07「10年目のはじまり」』リリース記念イベント @ タワーレコード新宿店

9/28(土) りんご音楽祭2019 @ 松本アルプス公園

9/29(日) J-WAVE INNOVATION WORLD FESTA 2019 @ 六本木ヒルズアリーナ

 

10/14(月) AKB48 56thシングル「サステナブル」劇場盤 発売記念大握手会 @ パシフィコ横浜

10/16(水) フィロソフィーのダンス「FUNKY BUT CHIC」(LP) 発売記念イベント @ HMV record shop 新宿ALTA

 

11/10(日) アップアップガールズ(2) ファーストアルバム『アオハル1st』 リリースイベント 11/10 3部 @ 池袋マルイ イベントスペース

11/14(木) 博多座開場20周年記念 AKB48グループ特別公演 第一部:「仁義なき戦い〜彼女(おんな)たちの死闘篇〜」第二部:「あんみつ姫プロデュース レヴュー48」 (キャストA) @ 博多座

11/23(土) AKB48 56thシングル「サステナブル」劇場盤 発売記念大握手会 @ パシフィコ横浜

11/30(土) NGT48研究生「PARTYが始まるよ」公演 @ NGT48劇場

11/30(土) NGT48「ただいま!十人十色」公演 @ NGT48劇場

 

12/24(火) AKB48 55thシングル「ジワるDAYS」劇場盤発売記念大握手会 @ 幕張メッセ

 


 

5-7月はアイドルを見る機会が一度もありませんでした。2016年3月に大学受験を終えてから今までで、これほどの期間を空けたのは初めてだと思います。1年を通して見てもオタクする頻度は相当下がった印象です。来年の春からは生活拠点が関東から関西に移るので、これを機にオタク活動からフェードアウトしたいよなあ。まあ多分できないのですが...

 

今年も一緒に遊んでくれたオタクの皆さん、ありがとうございました。

2019年の総括、続く──────