『シャーベットピンク』発売によせて

コロナで騒いでいるあいだに、あっという間に2020年も残すところあと半分を切ってしまいました。例年のいまごろであれば、TIFのタイテを見ながらスケジュールを練ることで頭がいっぱいで期末試験やレポートどころではない!(逆転)となっているはずなのですが、今年はTIFがない分と言ったら良いのか、オンライン授業に伴う大量のレポートと格闘しながら、夏インターンのESや諸試験を消化している状況です。

 

今週、NGT48の5thシングル『シャーベットピンク』が発売されました。1年9ヶ月ぶりのリリースです。この1年9ヶ月のあいだ、NGT48について、アイドルについて、自分自身のことについて、いろいろ考えることになりました。

 

はじめに: 自分語り

大学というのはほんとうに邪悪な場所です。まず、「生産性」とか「スキル」とかいったものを上げようと必死になっている学生たちがたくさんいます。貨幣単位を意識的にあるいは無意識的に信奉する彼らは、様々なことに対して平気で「無駄だ」とか「役に立たない」とか口にします。彼らは学問にも専門知にも敬意を払わないばかりでなく、能力主義が内面化し、貨幣単位で計測された「能力」なる価値の中立性を信じて疑いません。いわゆる「ドカタ」や「中卒」といった人々に生活の基盤を支えられていることなど、彼らにとっては知ったことではないし、まして田舎の人間など非合理的な「土人」にしか見えていないことでしょう。

 

一方で、そんな学生たちとは無縁に純粋に学問に没頭していると思われる先生方はじめアカデミシャンの皆さんはどうでしょうか。アカデミアという権威を盾に、公務員や農林水産業・土木建設業などの特定業界に対して「既得権益だ!」と攻撃し、行政改革構造改革に加担してきた人たちがいることは否定できないでしょう。またこれは私が専攻している分野に関して特に顕著なのですが、現実が理論通りにならないと「現実のほうが間違っている」みたいなことを言い出す人がしばしば見受けられるのは、学生の身分ながら常々呆れてしまいます。

 

このようなインテリ的傲慢さの腐臭が漂う大学に、わざわざ地元の岩手県を離れて通っていること。そしてゆくゆくは、このような人々と同じような立場で仕事をして生きていくであろうということ。これはほかでもない私自身の選択であるがゆえに、どうしても罪悪感がつきまとってしまいます。

 

とても個人的な話になりますが、一昨年祖父が亡くなりました。いつも陽気でおちゃらけていて笑顔を振りまいているけれど、実はしっかり者で、漬物も庭仕事も大工もなんでも身一つでこなしてしまう祖父は、ずっと私の憧れでした。 そんな祖父は、生まれてから死ぬまでを同じ地域で暮らした人でした。そこに住んでいる人はだいたい顔見知りなので、私が小さい頃祖父と散歩すると、道で会う人一人ひとりにいつも声をかけられて、その度に立ち話になり少し退屈していたことをよく覚えています。

 

法事などの席で、私のことを小さい頃から知っている近所の人や親戚に「将来何になるの?」「こちらには戻ってくるの?」と何度も聞かれました。よりにもよってあんな生き方をした祖父の法事で、「まだ決まっていないけどたぶんそのまま流れで関東あたりで就職すると思います」などという答えしかできないことに、恥ずかしさがこみ上げてきました。

 

私にとっての故郷は、決して誇れるものでも、胸を張って好きといえるものでもありません。今後も衰退していくだけであることは目に見えているし、住んでいて楽しいところだとも到底言い難い。しかし故郷こそ、私という人格を作り上げた環境であり、その空間一つひとつに大事な記憶が詰まっています。言ってしまえば、故郷というのは私の一部なのです。

 

今思い返してみると、そんな私に居場所を与え、わずかに安心させてくれたのが、NGT48だったのではないかと思います。

 

NGT48と私

これはいつも話していることですが、私がNGT48を好きになった複数のきっかけのうちの一つは、「NGT48のにいがったフレンド!」というテレビ番組です。

 

この類の「地域密着」型ご当地番組というのはたいてい、観光スポットやその土地の食べ物、歴史ある街並みなどを紹介したり、「〇〇民のここが変」「〇〇民のここがすごい」みたいなネタをわざとらしく扱ったりといった内容に終始することが多いものです。しかし「がたフレ」には、人のいないシャッター商店街や何も無くだだっ広いだけの田んぼ道、そしてとにかく規模の大きいショッピングモールや全国チェーン店などがたくさん登場します。そんな地方のありふれた風景を舞台に、NGT48のメンバー数名とロッチの二人が繰り広げるしょうもない会話がひたすら映し出されます。

 

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『NGT48のにいがったフレンド!』#113(総集編)より

 

番組の中で定番となっていたのが、ロケの現場からメンバーの家族に電話をかけるというものです。メンバーの地元凱旋回では、電話で撮影現場まで家族を呼びつけたり、小さい頃通っていた習い事の教室や幼稚園を訪問したりすることがあります。また、ロケ中にメンバーが地元の友人・知人に偶然遭遇することもありました。

 

「がたフレ」は、インテリ連中の考える地方創生などというキレイゴトに対して、そんなの知るかと言わんばかりに、衰退した地方の現状と、経済的に有用な資源の乏しさを叩きつけます。観光立国だインバウンドだと躍起になっているここ20年のわが国の方向性の真逆を堂々といくのです。代わりに映し出されるのは、その土地で育ったメンバーやその土地で暮らしを営む人々、彼ら一人ひとりの人生です。それらは一見するとありふれたものなのですが、個別的・具体的な人生の経験は彼らにとってかけがえのないもので、驚くほどキラキラ輝いています。

 

「がたフレ」を見たり、ラジオを聴いたりしているうちに、もっと彼女たちの生身の人生について知りたいと思うようになりました。新潟を訪れるたびに、彼女たちを育んだ、もしくは生きていくことを選んだこの土地のことがどんどん好きになっていきました。同時に、地方都市特有の都市構造や景観に、自分が生まれ育った場所を重ね合わせたりもしました。

 

そうしてオタクさんたちと一緒に、あるいは一人で、NGT48のオタクをするようになりました。新潟で、新潟のお酒を飲みながら、メンバーの人生に想いを馳せるとき、えも言われぬ感慨が押し寄せてくるのでした。

 

 2019年

昨年、NGT48に何があったのかについて改めて説明はしません。

 

NGT48という大好きなアイドルグループが、当該事件を起こしてしまうような集団であったこと、そしてそれに対して適切な対処を行えなかったことに対する失望は、計り知れないものでした。事件のあと、山口真帆さんを含む多くのメンバーがグループを卒業・辞退してしまったことは、対応がいかにいい加減であったかを示すのにあまりにも十分でしょう。むしろ、グループ側が被害者であるかのようなスタンスをとっているとさえ受け取れてしまいます。

 

事件の発覚から数日後、新潟の万代島というところで『新潟開港150周年×NGT48劇場3周年記念イベント』が行われました。メンバーもオタクも、みんな心の中はそれどころではない状況なのに、まるで何もなかったかのようにイベントが進み、会場の外には多くのメディアがカメラをもって待ち構えていたあの異様な雰囲気は、二度と味わいたくないものでした。そしてこの日、東京で開催されていたAKBのチームコンサートで、当時総監督だった横山由依さんが謝罪するという場面があったそうです。新潟では何もなかったかのようにイベントが進んでいるのに、東京ではAKBが謝罪しているという転倒した状況に、呆然としました。

 

2019年のAKBは、「楽しいばかりがAKB」と題した全国ツアーを実施し、その評判は私の聞く限り非常に良いものでした。私も8月に川崎でチームBの公演を見ましたが、「楽しいばかり」というのは本当で、前日に複雑な気持ちで見たNGTの公演とは大違いでした。このツアータイトルは当然、年始からのNGTに関する悲しいニュースの連続を受けたものでしょう。NGTが起こしてしまったことの尻拭いをAKBの各チームに負わせているような気がしてしまい、複雑な気持ちでした。

 

いま述べたNGTの公演というのは、『夢を死なせるわけにいかない』公演初日のことです。事件後中止されていた公演が再開されたのは、8月でした。劇場では、多くの人が「今日は公演再開!めでたい!」と楽しそうで、企画実行委員会的なものも立ち上がっていたようでした。劇場入り口前の通路のところにあったタイアップ企業の広告はすべてなくなっていて、代わりに掲示されていたのは、「私たちはNGT48を応援します」というファンによる企画ポスターでした。 

 

公演の終盤MCで、あるメンバーが「事件から今までずっと、言われもない噂で叩かれ続けて本当に辛くて...」と泣きながら述べていました。インターネットの不特定多数が、特定の個人に容疑をかけ、勝手に白黒をつけ、罵詈雑言を投げつける。そういう光景は、いまだに目に入ってきます。気に入らないものを勝手に裁いて気持ち良くなっている人たちはインターネットに山ほどいます。今回の件に限らず、「やらかした(と思われる)やつは好きに叩いていい、叩かれるべき」という感覚を持っている人(インターネット上の人格)があまりにも可視化されていて、本当に引いてしまいます。

 

しかし、そのような状況を引き起こし、グループを「逆境」に追い込んでしまった原因は、紛れもなくNGT48というグループ自身にあるはずです。にもかかわらず、外向きにまるで被害者であるかのような顔をすることには違和感を禁じ得ませんでした。

 

公演終了後、「NGT最高!」と大きな声で連呼しながら泣いている女性ファンがいました。「NGT48ここに復活!逆境に立ち向かってこれからも頑張ります!」という空気感が、NGTの側からもオタクの側からも醸成されていて、とにかく気持ちの悪い空間でした。その空気感は、いまもダラダラと続いています。

 

『シャーベットピンク』

 7月23日(水)、ついに5thシングル『シャーベットピンク』がリリースされることになりました。当日の夜には、ドキュメンタリー番組がABEMAにて放送されました。

 

abema.tv

 

相変わらず「逆境に立ち向かうNGT」の物語が練り上げられていることに辟易してしまいます。「ご迷惑ご心配をおかけしました」「長いあいだお待たせしました」「支えてくれるみなさんに感謝」といった言葉だけが空滑りしているような感じで、事件のあと何をしていて、何に対して反省し、何を改善しようとしているのかがまったくわからないのです。これまでの雑誌のインタビューなどからわかっているのは、ひたすらメンバー間で「話し合い」が行われたということだけです。結局、事件に関する総括は昨年の「第三者委員会」によるレポートのみでした。事件をきっかけに卒業したメンバーの名前はほとんど禁句のような状態になっていますし、この空白の期間は、今後さらにアンタッチャブルなものになっていくのでしょう。

 

今後もモヤモヤした気持ちを抱えたままNGTを見続けなければならないことが、またここで決定付けられてしまいました。NGT48とどう向き合っていけばいいのか、いまだによくわかりません。NGT48のコンテンツを消費するたびに、「私はこうしてNGT48のオタクをしていて良いのだろうか」という思いが生じてきます。

 

しかしながら、こんな状況にあってもNGT48が好きで、オタクをやめられていないのは、事件以前に(あるいは以後にも)過ごしたNGT48との時間が私にとってかけがえのない人生の一部であり、私を支えているからなのだと思います。朱鷺メッセ単独コンサートで新潟に行ってみんなで日本酒をたくさん飲んだことも、MVのロケ地を一人で回ったことも、サマソニの大阪会場から東京でのNGTのライブを回したことも、推しメンの生誕祭のあとに何の計画もなく推しメンの故郷を訪れたことも、正月からお台場でライブを見てバーミヤンから観覧車を回したことも、ぜんぶが大切な思い出で、それらはNGT48がなかったら有り得なかった出来事です。

 

私にとって好きなアイドル(グループ)というのはもはや他者ではなく、故郷と同じように自分の一部になっているようです。そうである限り、少なくとも精神的にはオタクをやめることができないでしょう。好きなアイドル(グループ)が叩かれているのを見ると、オタクである自分も叩かれているような気持ちになります。楽しいことにお金を払い、楽しくないことにはお金を払わないという、合理的な消費者としての行動をとることができなくなっています。

 

こういう話をしていたら、知り合いのとあるオタクさんに「好きなものを自分と一体化・同化するの、オタクの悪いとこだぞ」と怒られましたが、オタクってみんなそんなものですよね?そう信じたいものですが...。

 

推しメンのこと

本間日陽さんは、instagramのストーリーズに次のような投稿をしていたことがありました。(ストーリーのスクリーンショットを貼るのはあまりにも無粋なので一部引用)

 

最近は地元で過ごしてた学生時代が死ぬほど愛おしく感じます!捨ててきたのに、捨ててきたから、こその、へばりつくみたいに愛おしい執着心のようなもの、、家とかも生家〜って感じになるもん何もないと思ってたけどいっぱい愛おしい瞬間が詰まってて地元すき...ってなる

 

この投稿はわりと最近(2-3ヶ月前?)にされたものですが、自分のいちばん好きなアイドルとこういう感覚を共有できていることに強い安心感を覚えました。というより、もともとこういう感覚を共有できる気がしたから好きになったのだという気がします。こうして推しメンに恐れ多くも自分を重ね合わせてしまうのもある種の「一体化」ですが。

 

学業も優秀で、地元の進学校に通っていた本間日陽さんは、もしアイドルとしての道を選ばなかったとしても、おそらく一度は地元を「捨てる」選択をすることになっていただろうと推測します(オタクの勝手な妄想)。彼女が東京の大学に通う地元の友人の話をしているのを聞くと、アイドルにならなかった彼女の人生というものを勝手に考えてしまいます。

 

周囲から反対されながらも、それを乗り越えて「アイドルとして生きることを決めた」本間日陽さんが、いまでは家族や地域の人に背中を押されながらアイドルとして輝いているという、まさにかけがえのない人生を、間近で感じたいというのが私のオタクモチベーションになっています(こうやって書いてみるとかなり怖い感じがしますが)。

 

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『NGT48のにいがったフレンド!』#59より

 

 

 

本間日陽さんは、昨年4月のチーム体制終了までチームGのキャプテンを務めていました。私は、チームGのことが心の底から大好きでした。『逆上がり』を聴くだけで、チームGの公演に最初に入った初夏の新潟の風景を鮮明に思い出します。昨年4月の千秋楽では、山口真帆さん・長谷川玲奈さん・菅原りこさんの3名が卒業を発表しました。どうしてこうなってしまったのか、とひたすらやるせ無い気持ちになりました。このとき、涙を浮かべながら最後のあいさつをした本間日陽さんを、どう受け止めて良いのかもわかりませんでした。

 

事件の後は、3月から不定期で行っているソロ公演やAKBフェスでのソロステージ、本店選抜など、単独での仕事やグループの看板を背負った仕事を多く任されることになりました。それに伴い、ある意味では矢面に立ち、「まほほんらを見捨ててグループ側についた」という批判を受けることにもなりました。そのような批判は確かに妥当なものであり、そのなかで私はどのようなスタンスで推しメンを好きでいれば良いのかに悩まされています。

 

いま本間日陽さんは、「NGT48を守りたい」と言っています。1年間キャプテンを務めたチームの解体から、ソロ公演・ソロコンサートなどを経て、自分にしか果たせないグループに対する役割を模索しているように見えます。彼女が守ろうとしているものが、去っていってしまったメンバーたちが守りたかったが守りきれなかったものであることを、オタクである私は盲目に信じるしかありません。

 

おわりに: 謝辞とともに

まだまだ話し足りないことは山ほどあります。とにかくこれからも、モヤモヤした気持ちを抱えながらNGT48のオタクとしてやっていくのだろうと思います。このブログを書いたことで、やっとモヤモヤ感と付き合っていく覚悟ができるような気もしています。

 

最後に、NGT48のオタクそして「新潟最強のあゆたむ軍団」軍団長としてオタク活動を共にしてくれたf_ou_miさんに謝意を表したいと思います。事件後だれもがNGTから離れてしまったなか、ともにNGTの現場に足を運びお酒にとことん付き合ってくれたf_ou_miさんは、複雑な想いを共有できる唯一の仲間で、心の支えでした。他にも、多くのオタクさんが話を聞いてくれたことが、私を救ってくれたと思っています。こんな私ですが、今後とも何卒よろしくお願いいたします。